ベトナム社会主義共和国(以下、ベトナム)では、1986年にドイモイ政策が策定されて以来、共産党による一党支配体制の堅持のもと、計画経済体制から市場経済への移行と社会主義国家圏との限定的な外交から資本主義国家も含めた全方位外交への移行に伴って、国家機構や社会の諸制度が万般にわたり劇的な変化を遂げてきている。こうしたなか、とりわけ高等教育は、国家の「現代化」と「工業化」を図るために一貫して重視されてきており、具体的に2000年代の動向をみてみれば、公立セクターの量的拡大を主としながらも、民営セクターにも拡大傾向が確認される(図1)。こうした点に、従来の公立高等教育機関一辺倒だった状態からの脱却と、急激な高等教育の拡大状況が見て取れる。

(図1)ドイモイ体制下における高等教育の拡大状況

(出展)教育訓練省資料統計:2011年度高等教育一覧より筆者作成。

 このような高等教育システムにおける民営セクターの拡大は、日本や韓国をはじめとしてアジア各国の共通の動向といえ、ベトナムと類似の国家体制を築いている中国でもすでに生じている。しかしながら、独自の動きとしてベトナムでは、民営高等教育機関として「民立(dan lap)」大学が存在するのみならず、2005年以降、新たに「私塾(tu thuc)」大学を誕生させることを通じて、「民立」大学と「私塾」大学が共存するシステムを創り出した。そこで本報告では、大学の管理運営体制に焦点を絞り、民立大学と対照させながら私塾大学の特質の一端を明らかにしてみたい。 まず、高等教育における民営セクターの展開について、その背景をおおまかに確認しよう。ベトナムではじめて民立大学の設置が政府によって正式に認可されたのは1994年であり、首都ハノイにタンロン大学、また南部最大の都市ホーチミン市にヴァンラン大学が創設され、それ以降陸続と民立大学が出現することとなった。こうした非公立の高等教育機関の発展の背景には、いくつかの政府の政策が存在している。 民営セクターに関わる特に重要な政策として、政府は、1996年に開催されたベトナム共産党第8回大会において「教育の社会化(xa hoi hoa giao duc)」を提唱し、教育の発展を国家や共産党に加えて国民全体の義務とするものとした。この後も1997年、1999年、そして2005年と断続的に「教育の社会化」に関する政府文書が出されており、これらはいずれも民営高等教育の量的拡大を目指す点で共通している。しかし、2005年の文書では、従来規定されていた教育機関の非営利の原則を覆し、教育を含む福祉活動の領域全体における営利性の容認が大きな方針とされた。つまり、2005年を境とし民営高等教育機関に営利追求の方途が開かれることとなったといえる。 それでは、こうした背景のもと2005年以降に出現してきた私塾大学はいかなる特徴を有する大学であろうか。管理運営面における制度上の特質を考察するうえで、ベトナムでは「規則(quy che)」の公布を通じて制度設計がなされることから、ここでは主として「民立大学規則(2000年)」と「私塾大学の組織と活動に関する規則(2005年)」(1)を参照し、私塾大学の特徴について整理すると次のようになる。第1に、これは民立大学にも当てはまるものであるが、機関の法的位置づけとして私塾大学には法人格が付与されていることである。先述したように高等教育の急激な拡大を受け、現在のベトナムでは法人化を通じて、従来のような一元的な政府の統制を弱めると同時に、機関の自律性を高めてより効率的な運営をおこなうことが公立大学にも求められているが(2)、私塾大学をはじめ、民営高等教育機関はそうした動きを先行した機関類型であるといえよう。 第2に、機関の組織構造として、民立大学ではその運営にあたり最終的な決定権限を持つのは理事会であるが、私塾大学では理事会が設置されるものの、その上位にさらに株主総会が存在し、定期的に開催される総会において機関の方向付けがおこなわれると規定されることである。また同時に、私塾大学には機関運営における財政状況を監査する組織として検査委員会が置かれ、定期的に株主総会に報告するとされることも特徴として見逃せない。 第3に、理事会の構成員のあり方として、民立大学では、①民立大学設立申請組織、②大学設立のための寄付をした投資家の代表、③大学教員の代表、④学長そして大学党委員会の代表からなると規定されるが、私塾大学では、理事会は株主のみから構成されるということである。民立大学申請組織が機関設置に向けてその正統性の承認を共産党との関係が非常に強い大衆組織から受けるとプロセスが存在する点で、民立大学は機関設置から運営にいたるまで共産党の関与を受ける制度的特質を有するといえる。一方、私塾大学は経済産業関連のグループや規模の大きな企業体が設置主体になることに加えて、制度上理事会が株主から構成される点で、私塾大学は共産党から距離をとり、より市場を志向した性格をもつものといえる。 以上から、ベトナム高等教育における私塾大学の特質は、企業経営体としての管理運営体制を備えている点および市場に対する強い親和性を有する点にあると考えられる。こうした性格は、制度上、機関運営において株主総会が存在することとの関連から、私塾大学は株式を発行でき、それを元手にして資産運用が可能であるといわれる(3)ことにも表れている。このように私塾大学は、ベトナムにおいて営利的側面も持ち合わせる新たな大学類型として捉えられ、その誕生は高等教育の市場化のいっそうの進展を示しているのである。 本報告を踏まえると、高等教育の市場化が進むベトナムでは、今後の課題として、増加し続ける高等教育機関数および学生数に加え、このような営利的性格を持った私塾大学が実際として台頭した際にいかなる措置をもって高等教育の質を担保していくのかが問われてくるものといえよう。 [注] (1)私塾大学に関する規則は、この後、2009年と2011年に部分的に改定されているが、本報告で取り上げた組織構造については変化はみられていない。 (2)例外として、ベトナム国家大学(ハノイ校およびホーチミン校)には、2001年の時点で法人格が付与されている。 (3)2012年3月に筆者が実施した、ベトナム教育科学院高等教育局長レ・ドン・フォン氏への聞き取りによる。 [参考文献] 関口洋平「ベトナム高等教育における私塾大学の特質ー管理運営的側面における制度設計を中心にー」『比較教育学研究』第46号、2013年(印刷予定)。