万能なレシピに固執せず、絶えず想像力を働かせる必要性

●Journal of Moral Education 2014年6月

本研究は、生徒による差別発言(特定の人種や性的少数者へのもの)に出会った際に教師はどのように行動するべきか、という問題に対する応答を試みるものです。「教師は何をするべきか」という問い方ではなく、「何をするかをその都度どうやって判断するか」という問い方をすることの必要性を指摘している点に独自性があります。 「どうやって判断するか」という問いに対して、著者はアメリカの哲学者デューイの著作と多くの教育実践事例に依拠しつつ、「道徳的想像力」を行使することによってであると応えます。「道徳的想像力」とは、本研究に即して言えば、その独自の状況において、ある対応の仕方をしたとき、その対応は発言した生徒、周囲の生徒、発言に傷つけられた(または傷つけられる可能性のある)生徒にどんな影響を及ぼすかを想像することです。 著者は差別発言に対しては、こうすべきであるという明快な答えや使い回せるレシピのようなものは存在しないと指摘します。その理由として、差別発言に対応すべき各々の場面にはいずれもその場面に独自の文脈があること、ゆえに教師の対応の仕方を一律に決定しようとする行為は文脈の軽視であり、様々な弊害を引き起こしうることを指摘しています。 このようにレシピではなく「道徳的想像力」を重視する背景には、デューイの相互作用としての経験という考え方がふまえられています。経験を構成する相互作用は、ものの見方の変化を促す可能性をもつとされます。まさに問題の場面そのものも相互作用の場である以上、画一的な対応をしていては、見方を変化させ成長へと導く機会を逃してしまいます。場合によっては、むしろ事態を悪化させることもあるでしょう。だからこそ、著者はどのような相互作用が生じうるのかを絶えず想像する必要があると指摘するのです。 以上の議論をふまえて著者は、出来合いのレシピで満足するのではなく、その都度その状況により適切な行動は何かを考えることによって、道徳的なものはより豊かな「生きられた経験」になるのだと強調しています。 出典:Arneback, Emma. “Moral Imagination in Education: A Deweyan Proposal for Teachers Responding to Hate Speech.” Journal of Moral Education, Vol. 43, No. 3, 2014, pp. 269-281.

(報告者 京都大学大学院教育学研究科 博士後期課程 松枝拓生)