2010年5月の保守党・自由民主党連立政権(以下:連立政権)への政権交代以降、イギリス[i]では公費運営の独立学校である「アカデミー」の数が大幅に増えている。アカデミーとは、政府から直接資金提供を受けながら、さらに個人、宗教団体、大学、会社、慈善団体などのスポンサーを募って開校し、運営を行う学校である。地方当局より資金を与えられていた従来の公立学校と異なり、スポンサーからの資金によって学校を運営するという点が、アカデミーの大きな特徴だ[ii]。 労働党政権下の2002年に最初のアカデミーが3校開校して以来[iii]、2010年1月までに、中等学校約7,000校のうち203校がアカデミーとして設置された[iv]。そして連立政権への政権交代以降、図1に示すように、2015年までにアカデミーの総数は初等学校2,440校、中等学校2,075校と、2010年からの5年間で20倍以上に増加した[v]。連立政権は発足以来、「2010年アカデミー法」の制定をはじめとする様々なアカデミー振興策に取り組んでおり、その結果が数字に表れているといえるだろう。 fukuzaki

図1 学校種別のアカデミー校数の推移 (DfE, Schools, pupils and their characteristics: 2010-2015 より筆者作成。)

このように、2002年以降アカデミーは一貫して拡大の途をたどってきた。しかし、労働党政権と連立政権という異なる政権の下で、アカデミーがもつ意義は変化してきている。 まず、労働党政権におけるアカデミーの位置づけをみてみる。1997年の政権交代によってブレア労働党政権が発足すると、2000年に学習とスキル法(The Learning and Skill Act 2000)が制定された。これを根拠にして、産業界と結びついた教育トラストによって運営される学校「シティ・アカデミー」が設立された。そして、この「シティ・アカデミー」を基盤として2002年教育法において設立されたのがアカデミーである[vi]。労働党政権下でのアカデミーは、貧困地域のパフォーマンスの悪い中等学校の改善や人材確保、民間企業や資本の導入を目的として設置されたものである。そのため、設置の条件としては貧困地域に設立されることや、スポンサーに自己資金20%あるいは200万ポンドを用意することが求められた[vii]。すなわち、労働党政権下でのアカデミーは、学力が低く学校改善がうまく進んでいない学校の改善に向けて、民間のリソースを活用しテコ入れを図ることを狙いとして設立されていたといえるだろう。 では、2010年5月の政権交代によって発足したキャメロン連立政権では、アカデミーはどのように位置づけられるものだったのだろうか。政権発足直後の2010年7月、連立政権は2010年アカデミー法(Academies Act 2010)を成立させた。この法律を根拠として[viii]中等学校に限らず初等学校も、そして貧困地域だけでなくあらゆる地域の学校もアカデミーへの移行対象となった。その後同年9月1日に正式に181校が申請し、142校が2010-2011年度に開校することになった[ix]。以降アカデミーの数は年々増加しており、その推移は先述の通りである。 また、アカデミー開校の際には教育水準局(Ofsted)の査察を受けることが求められるという点は、連立政権下のアカデミー政策における重要な特徴である。アカデミーの移行は、この査察の結果で「優(Outstanding)」の評価を受けた学校から優先的になされる。つまり連立政権下では、学校経営が比較的順調である学校から優先的にアカデミーへ移行し、スポンサーによる民間資本を取り入れながら、自律的な学校経営を進めていったということが指摘できる。 ここまで述べたことを踏まえると、労働党政権下と連立政権下とではそれぞれアカデミーに対する位置づけが大きく異なることが明らかになる。労働党政権下でも連立政権下でも、民間のリソースを活用した学校経営を行うことが目指されている点は共通している。しかし、アカデミー導入当初の政権であった労働党政権ではあくまで学力水準が低い、学校改善がうまく行われていない学校をアカデミーにすることで、民間リソースを用いてボトムアップを図ることを狙いとしていたのに対し、連立政権はアカデミー移行の対象をすべての公立学校に拡大し、学校評価で優れた評価をあげた学校のパフォーマンスをさらに高めることを目的とし、各学校により自律的な経営を促すようになった。2002年のアカデミー導入以来、政権の交代によってアカデミーの位置づけはこのように変容してきたのであり、急速に拡大するアカデミーの動向には今後とも注目したい。

[i] 本稿ではイングランドのことを指す。
[ii] 木村ゆり子「イギリスのアカデミーにおける学校ガバナンス」『九州教育学会研究紀要』第33号、2005年、113頁。
[iii] DfE, Schools, pupils and their characteristics: January 2010. [https://www.gov.uk/government/statistics/schools-pupils-and-their-characteristics-january-2010](2016年1月27日アクセス) また、アカデミー政策の起源は、サッチャー保守党政権下で施行された1988年教育改革法(Education Reform Act 1988)に規定される、シティー・テクノロジー・カレッジ(City Technology Colleges、以下:CTCs)にみることができる。CTCsとは、産業界と結びついた教育トラストによって運営される学校である。保守党政権下でCTCsの設立が目指されたが、用地確保の難航や設備費の高さによって思うようには進まなかった(山口伸枝「イングランドにおけるアカデミーの拡大」嶺井正也・中村文夫編著『市場化する学校』八月書館、2014年、10頁)。
[iv] DfE, Schools, pupils and their characteristics: January 2015. [https://www.gov.uk/government/statistics/schools-pupils-and-their-characteristics-january-2015](2016年1月27日アクセス)
[v] Ibid. なお、2015年1月時点でのイギリス国内の初等学校の総数は、16,766校、中等学校の総数は3,381校である。
[vi] より詳しく説明を加えると、アカデミーの制度は、注4で言及したCTCsとシティ・アカデミーを基盤として創設されたものである。(青木研作「イギリス連立政権下のアカデミー政策―学校の自律化が与える地方教育行政への影響に着目して―」『日英教育研究フォーラム』第19号、45-58頁。)
[vii] 山口、前掲論文、10-11頁。
[viii] 2010年アカデミー法では、「イギリスの公立学校の学校理事会は、学校に関してなされるアカデミーの申請を教育大臣に送ることができる」と定められた。
[ix] 山口、前掲論文、11頁。